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2006.04.13

柳田 邦男

 生と死について書いています。
 柳田邦男風に言えば、私の思想の底流には「死と生」がある。

『「人生の答」の出し方』柳田邦男著 新潮社 を読みました。
 人は、死を明確に意識した時、生きがいを持ち生きる。死と生への深い考察。
柳田邦男の最初に読んだ本は、「犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日』これは、高校1年の時。すごく衝撃を受けました。それまで、切り離して考えていた死は、生に包容されているという新しい概念にたどり着きました。人生の最期を豊かにするものは、生そのものなんだって。(本の内容は、次男の自死行為による脳死の11日についての内面的な動き―(柳田邦男の)葛藤等が書かれています)

 それから、沢山の生と死に関する本を読みました。出産を通して、人は生まれたように死んでいくのだとも思いました。卒論までも「死の社会学的考察」です。

 あれから、9年。再び柳田邦男の本に出会ったことに意味があるような気がします。9年前は、死とはは一体何なのかという考えが中心でした。ですが、今は違った面から見ています。柳田邦男が人生の答は、積極的に求めようとする人に見つかると書いたように、密度を濃く生きた生が、死をも含めたその人にしか描けない重みのある人生になると思うのです。

 人には、必ず死が訪れます。残された時間がどれくらいか、私たちにはわかりません。例え医師に余命を宣告されたとしても、残された時間の「生」を生きれば、それは単なる時間の流れと比べることもできないと思います。

 そして、死には納得が必要なんじゃないかなと思ったりもします。納得というのは、あぁ、とても幸せだと思った瞬間を死の際に思い出せるということです。幸せだと気付かせてくれるものは、些細な事だと思うのです。カリフォルニアポピーが一面に咲いているのを見て、幸せだと思うとか。でも、そういう瞬間があって、自分の生に納得して生の最終章を創ることができると思います。

 
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